ツマ、どうした。
ツマはうつ歴7年。
初診の時の先生は、とても穏やかな初老の男の先生だった。目を細め、ゆっくりと頷きながら話を聞き、一通り話し終わると「まぁ、ゆっくり休んで下さい」と言うのが決まりだった。
最初はツマもそれで満足した。話しの腰を折らず最後まで聞いてもらい、泣きたい時は泣いた。きっと良い先生だったのだろう。
けど、何を話しても「ゆっくり休んで下さい」で終わる先生に嫌気が差した。
当然、通院も行ったり行かなくなったり。
そんなこんなをやっているうちに、引っ越しとなった。
オットちゃんの実家のすぐ隣の中古住宅を買ったのだ。オットちゃんは長男。最初は新築で立てる予定がうまく行かず、何を血迷ったか、ツマは「隣の空き家リフォームすればいいじゃん」と言ってしまった。
それから6年、その家に住んでいる。
お姑さんとは最初から仲が悪かった。
何しろ、ツマが1番最初に挨拶に行った時、第一声が「家族構成書は持ってきましたか?」だ。
“・・・え?なにそれ?コレ面接?”
と正座からの足の痺れと嫌な汗を感じながらも、いいえと答えると、家族構成書がないと話しにならないとのお答え。家族構成書とは、家族の氏名、年齢、住所、仕事を書いた物らしい。正直、そんな物初めて聞いた。そもそも、挨拶時はまだ結婚という話じゃなかったのだ。ただ同棲するから挨拶しとかなきゃ程度だった。
ツマはその当時、バツイチ子1人。当然、そんなご家庭にノコノコ挨拶に行ってはならなかったのだ。ツマ自身の家庭も、オットちゃんと比べようもないくらい、訳あり過ぎる。結局、すったもんだあって受け入れられないまま籍を入れた。
そして。
ツマとオットちゃんは新たにコドモ2人を授かり、コドモたちがクッションになってくれてお姑さんとなんとか普通に話せるようになり、今の生活まで至る。
うつはというと。
引っ越してから初めて行ったクリニックは、また男の先生だった。表情をあまり変えず、診断はハッキリと言ってくれるものの、言葉の節々にどこか投げやり的な感じを受け取ってしまう先生だった。この先生には心を開けなかった。そしてやっぱり勝手に薬を止めては悪くなり、仕方なくまた行き・・・のくり返し。
この頃ツマは、慣れない環境下での隣の姑や近所の目、ネェネの学校では誰とも話せず、オットちゃんに愚痴れば姑の肩を持たれ、かなり症状は重かった。
でも誰にも心を開けず助けも求められなかったツマは、何度もうつを誤魔化しながら日々を過ごした。
そうして何年か過ぎ、そのクリニックが女性の先生になったと噂で耳にし、また通い始めた。
その先生はとてもほんわかとした雰囲気と話し方をしていて、親身になって聞いてくれる先生だった。女性同士、子育て経験もあるからか、そういう話しをしてもよく理解を示してくれた。ツマは、ようやく信用できる先生に出逢えた。
そして今年。薬ももう大丈夫かなとのところまで来た。今年中にはうつから脱せるかも!と思った矢先―。
徐々に兆候はあった。でも疲れだと思っていた。ツマはもう大丈夫なんだからと。
スーパーに行っても献立が浮かばない。
何を買っていいかわからない。
人と話しているのに、会話が入ってこない。
好きなことをやりたいと思わない。
仕事の帰り道、車の中で泣いてしまう。
コドモたちの予定が頭に入ってこない。
表面は笑っているのに、自分じゃない気がする。
これは、まさか・・・
それは始まった。
手が震える。目眩がして運転出来ない。眠れない。悪夢を見る。頭痛がする。起きられない。
当然、仕事を休まざる負えなかった。
「ツマ、どうした。」
異変に気が付いたオットちゃんは聞いた。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。