ツマのうつ日記

うつ歴7年になるツマの日記です。オットちゃんに支えられながらも未だにうつから脱出できず。日々の出来事や感じる事、素直に書いてみようと思いました。

健常者と障害者?

健常者と障害者って、何が違う?


身体に障害があれば、障害者。きっとそれはスッと理解されるだろう。

では、心の障害は?脳の障害は?

目に見えない障害はどこから“障害”と言うのだろう。



うつになると、状態によっては障害者手帳がもらえる。状況によっては年金も。

本当に、生活が困難だとしたら受給すべきだとは思う。だが現実は、それ目的にわざと症状を作る人が貰っているケースがある。


住まいも実家で問題なく、黙っていてもご飯は出てきて、お風呂や洗濯、掃除などの衛生面もやってもらえる。何か買いたければ親にお金をもらい、映画や美術館やカフェなど好きな所に行ける。

そういう「うつ」を装う人がいるから、怠けてるだとか気合が足りないとか税金のムダ遣い、病気だからって言ってればいいんだから楽よね、なんて言葉が本当に精神病を抱えている人に向けられてしまう。



そして、今度は障害者が健常者に“あの人はいいよね”を返してしまう。

仕事ができて、家庭も円満、五体満足なのにこれ以上何が不満なの、と。健常者は健常者なりの大変さがある。金銭的補助もなければ、たとえ高熱でも休めない、家族を養うには仕事をしなければならない、リストラされても止まっている暇も余裕もない。そんな“責任”を背負っている。



これでは健常者と障害者は分かり合えないだろう。そもそも、その2分割にする必要があるのか。誰しも、隣の芝生が青く見える。でも、誰もが何かを抱えて生きていることには変わらない。それが重いか軽いかは、その人の感じ方だ。


お金持ちの家に生まれ、何不自由なく育ち、旅行も頻繁に行き、仕事も上手くいっている・・・それが“生きている”と満ち足りているのなら、それはその人の幸せの感じ方。

家は小さく、とても貧乏な暮らしをし、洋服も靴も自由に買えない。だが、毎日生きていけるだけの食べ物は食べられる。給料もギリギリだが、それでも自分の力で生活ができる・・・それが幸せに感じるなら、それもその人の感じ方。



分かり合える人もいれば、分かり合えない人もいる。障害があろうがなかろうが、そういうことだと思う。

誰かより劣っているとか勝っているとか、上か下かの判断で一喜一憂すべき事でもない。誰かにすがったり、真似したり、あるいは批判したり。そんな事どうでもいいと思う。

人間なんて、着飾っているもの全て取れば同じ。平行線上に並んでいるだけ。

“生きている”実感が欲しいだけ。



ツマがうつになってから、よかったと思ったこと。

それは、また一つ、寄り添える心が出来たということ。



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ツマ、会社に行く。

今日は健康診断があった。

血液検査も含め、個人的に病院で受けるのは高いし面倒くさがって行かないため、体を無理矢理引きずって会社に行った。



久しぶりにみんなの顔を見たら、素直に嬉しかった。早く、戻りたいなと思った。



ツマの職場は障害者支援施設。ツマは、職員だ。

なぜ、職員になったのか?それは―。



ツマの兄弟は障害者。幼い頃からそうなので偏見なんてない。そして、本来ツマがなりたかったのは看護師だった。色々とあってその夢は叶わなかったが、まだまだ世間的に“弱者”となってしまう彼等を助けたかった。うつを抱えながらも、支えたかった。だから、この職場を選んだ。


利用者さんは、皆とても優しい。毎日のように色々とあるが、楽しい。そして、ツマ自身をも成長させてくれる。

だか、職員にはうつのことを話してあるが、利用者さんには話さない。まるでそんな雰囲気も出さないしフランクに明るく接するので、誰もツマがうつだと思っていない。

それは、利用者さんとの“依存”を避けるためだ。身体障害だろうが、精神障害だろうが、私たち職員の役割は“自己の力で立つ”ための支援。

上から見ていては見逃してしまうだろうサインも、言葉の本意も、プライベートと分けないと見えてこない。相手と真っ直ぐ向き合うから真剣になる。その人の恐怖、不安、困難なことを見つけ出し、手を引いてあげるのではなくそれを乗り越えるにはどうすればいいかを考えて、その一歩を支える。


ただ、ツマの場合それが職場でも家でも真面目にやってしまうので、自分の事が置き去りになってしまうのだ。アンテナが立ちすぎる。オーバーワークになってもなお、周りを優先させてしまう。

肝心なのは、おそらくバランス。良い意味でのテキトーさ。


旅立った利用者さんと後々、「あの時実は、私もうつだったんだ」なんて笑い話が出来ればいいな。みんなの顔を見ていたら、そう思って少し元気が出た。

でもまだツマは、体が思うようにならない。職員としてけっこうな重労働の力仕事や長距離運転もあるので、中途半端には出られない。

しっかり動けるようになったらまた、一緒に働こうねと心の中で呟いた。



帰宅後、すぐにグッタリ・・・

この落差なんとかならないだろうか。

簡単に夕食を作り、コドモたちと少し接した後、動けなくなった。

オットちゃんにお風呂を任せる。

ちょっと反応が冷たい。ごめん、今日は無理しました。焦っているわけじゃない、けど、なんとか動けて会社にも行けた、家事も出来たというこの小さい達成感だけは笑顔で認めてほしいんだけどな・・・。




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リミット15分

今月初め頃からだろうか。


ツマは、車の運転が困難になった。


運転していると次第に頭が締め付けられるような圧迫感に襲われ、視点が定まらなくなり、目眩がしてくる。

その時間、約15分。タイムリミット。



つまり、目的地までちょこちょこコンビニなどに寄って休憩し症状を回復させないと、また15分走れない。しかも、回復に時間がかかる。


休職してから、ほとんど車に乗れなくなった。もっとも、外に出ることすらしたくないのだから、頑張って保育園の送り迎えくらいが限度なのだが。


今日、久しぶりに中距離運転をしてみることにした。怖いので隣にオットちゃんも乗って。やはり、キタ。ツマの顔が分刻みに変わっていくのを隣りで見ていたオットちゃんは、少し恐怖を感じたらしい。結局、15分しか運転出来なかった。

運転が難しくなったとは聞いていたものの、ここまでとは思わなかったであろうオットちゃんは、少し恐い表情を浮かべながら「無理したらダメだよ」と言った。


きっと、不可解な行動や症状がたくさんあるだろうなと思う。それもうつなのか?とオットちゃんの怪訝そうな顔が物語っていた。


理解に苦しむのはわかる。ツマが何か言うと薬はちゃんと飲んだのか、もしくは頭痛薬や睡眠導入剤を貰って飲んでと言われる。もちろん、薬は飲んでいる。それが大切なのもわかる。だけど、そう言われるたびに悲しくなる。その気持ちはきっとわかってはもらえないだろう。

薬からの離脱症状を体験しているツマにとっては、薬が1錠でも増えるとショックなのだ。「大丈夫だよ」と一言でいいから安心させて欲しい。



そう思ってソファにうつ伏せに寝たツマに、いつもの如く1日中テンションMAXのニィ二が寄り沿ってきて

「ママ、大丈夫だよ。ずっと頭ナデナデするからね。ずっと守ってあげる」

と優しくヨシヨシしてくれた。ちょっと涙ぐんでしまった。

そこへネェネが一言。

「ママ、そこで寝てるとリョーちゃんに踏み潰されちゃうしうるさいから、上で寝てていいよ。2人、見てるから」

と。いつもは反抗期真っ盛り。ニィ二(5歳児)に対しでも本気で苛つく年頃。手伝いも言ってからハイハイと重い腰を上げるのだが、やはり娘。頼りになる・・・。

コドモたちの優しさを受けてしばし2階で休む。

だが、リョーちゃんは2歳。イヤイヤ期、日本語まだカタコト、ほぼ小動物。

15分後・・・

ここでもリミットが働いてしまったらしい。

一階からギャーギャー泣きわめく声が止まないので、仕方なく下に降りなんとかなだめつつお風呂に入れ寝かしつけた。



今だけ、1日でいいから、1日中なんの心配もなく、1人で過ごしたい・・・

動くの本当にきつい。




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